株式会社メルカリCTOの名村卓氏に、エンジニアが挑戦を続ける意義について伺うインタビュー。前編では、エンジニアとしてのキャリアのスタート地点から前職のサイバーエージェント時代までを語っていただきました。 後編では、現職のメルカリで働くようになったきっかけや今後の展望について伺います。名村氏が思い描く、CTOとしての目標とは?
名村 卓
小学生の頃にPC9801UXに触れ、プログラミングを学び始めた。 会津大学へ進学し、コンピューターサイエンスの基礎を学びつつSIerでシステム開発を行う。 大学を中退し、東京でSIerに就職。 2004年にサイバーエージェントへ入社。 アメーバピグ、AWA、AbemaTV などの新規事業立ち上げにリードエンジニアとして携わった。
2016年にメルカリへ入社。メルカリUSで開発に携わった後、2016年に執行役員CTOへ就任。
−サイバーエージェントの後、現職のメルカリに移られたのはなぜでしょうか?
より規模の大きなシステムを設計できるエンジニアになりたいという思いがありました。サイバーエージェントで開発していた各種サービスは、基本的には日本国内を対象にしているので、多くても1,000万DAUくらいに耐えられれば問題のない規模感なんです。
一方、海外のサービスでは1億や10億という規模のDAUを想定してアーキテクチャを組んでいる企業が増えています。開発組織の規模も、一企業あたり数百人や数千人、下手をすると1万人くらいにもなるようなプロジェクトが出てきている。オープンソースの世界でも、近年では大規模なシステムを想定した技術がいくつも登場している印象があります。
ドメスティックなサービスでは求められるシステム要件がどうしても国内の需要にとどまるので、規模の大きなシステムアーキテクチャを考えられるようにならないと感じていました。このままだと、日本国内の案件だけに取り組むエンジニアとワールドワイドで戦っているエンジニアとの格差が生まれてしまう。だからこそ海外に挑戦したいという気持ちが生まれていました。
そんなとき、偶然にもメルカリCEOの山田(進太郎)に会う機会があり、メルカリがUSへの展開を計画しており、現地へ派遣できるエンジニアを探していることを知りました。それが転職のきっかけでしたね。
−USで経験されたプロジェクトのなかで、印象に残るものはありますか?
もともと、メルカリのUS版は日本版のソースコードをほぼ流用しており、決済まわりの機能のみを現地の仕様に合わせているような形でした。ですがその開発形態では、US側で修正をする際に日本側の確認をとる必要があるため、開発のスピードが出ない。それにUSの要望に合わせてUIや機能を最適化することも難しくなります。そこでUS版のアプリを刷新して、プログラムやアーキテクチャそのものも完全にオリジナルのものにしました。
USで僕が経験したなかでは、それが最も大きなプロジェクトでしたね。...
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